意識化の具体的な効果を理解することは今や容易である。すでに与えられている現実を言葉にしていくことは、その現実への直接的な愛着を一時的に停止させ、それらを当たり前のこととして承認する状態から引き離す。こうして、運命愛は、自らの運命への憎悪、すなわち運命への反逆へと崩壊するのだ
『ディスタンクシオン――社会的判断力批判』ピエール・ブルデュー著
ルッキズム。外見至上主義。 ヘイ、あちこちで「ルッキズムは良くない」「ありのままの自分を愛そう」なんてお上品なボランティア精神むき出しの生温い台詞が飛び交っているけれど俺に言わせればそんなのは全部クソだ。そんなのは、カランカランと静まり返った闇に空き缶を放り込んでいるだけの何のリアルもないクソ漫画の台詞と変わらない。
ルッキズムの正体はそんなお優しい心理学のカウンセリングで片付くような代物じゃない。 それは、お前の肉体の、骨の髄、筋肉のパターン、笑顔の作り方にまで、社会の階級の力学がこれでもかとしゃぶり尽くされて沈殿した身体資本(ボディ・キャピタル)をめぐる、容赦のない階級闘争そのものなんだよ。
1.ハビトゥス。お前の肉体はガキの頃からのクソみたいな環境の物質化だ
ブルデューが言っている。「身体は、階級趣味の最も紛れもない、目に見える物質化である」と。 まさにその通りだ。ベリートゥルー。お前が今日、何を食って、どう運動して、どういう姿勢で立って、どんなふうに喋り、どんなふうに笑うか。 お前はそれを自分の自由な意志で選択していると信じ込んでいるかもしれないが、そんなの完璧な幻覚だ。お前のその肉体的なあり方、身体型ヘクシスは、お前がガキの頃から育ってきた家庭環境や学校の初期資本の配分が肉体の自動作用としてペタペタとセメントみたいに塗り固められた結果にすぎない。
そして現代のこのクソったれなサービス社会において容姿はただの見た目じゃない。それは完全に市場で金や特権を弾き出すための資本として機能している。 インフルエンサーだの、ホスピタリティ産業だの、お前自身のレゼンテーションそのものが労働価値に直結する仕事が増えれば増えるほど、この身体資本の格差は目に見える暴力として牙を剥く。
2.美の正統性。金と時間を肉体にブチ込める特権階級の「ハッタリ」
ルッキズムが「正しい美しさ」として聖別する基準を見てみろ。 シュッと引き締まった体型、ケアの行き届いた肌、真っ白で綺麗に並んだ歯、洗練された身のこなし。 これらは一見、中立的で、誰もが努力すれば手に入る健康的で美しいものに見える。
底に流れているルールを見れば、ちょっと考えれば判る。 そんな「洗練された美」をキープするためには、どれだけ膨大な時間と経済資本が必要かってことを。 高級なパーソナルジムに通い、美容皮膚科でレーザーを浴び、オーガニックな食材を吟味して食い、セルフケアのために自分の時間を一秒残らず投資する。 つまり、世間が称賛する「美しい容姿」の本質とは、「私は自分の身体にこれだけの時間と金をブチ込める特権(資本)を持っています」ということを、肉体を使って無言でアピールしている記号に他ならない。
対照的に、労働者階級的な身体――安物のファストフードを詰め込んで太った体型や、手入れのされていない肌、ガタガタの歯は、それだけで「だらしなさ」や「自制心の欠如」として自動的に格下げされる。 特権階級は、自分の身体を最初から「選ばれた恩寵の器」のように捉え、無自覚な自己確信を持ってのびのびと振る舞う。 お前がそのルールの土俵に乗って「美しくなろう」とあがくことは、最初から資本を山ほど持っている支配層のルールを「正しいもの」として承認し、絶対に勝ち目のないレースを走らされているだけなんだ。
3.象徴的暴力。お前の「生まれつきの美醜」と「自己責任」にすり替える罠
俺が一番むかつくのはこの「身体の格差」がルッキズムの市場においては「本人の生まれつきの美醜」あるいは「努力や自己管理の有無(自己責任)」という、超個人的な問題へと巧妙にすり替えられている点だ。
ブルデューは、学校制度が家庭の文化的格差を隠蔽して「個人の才能の差」にすり替える、あの巧妙なペテンを「象徴的暴力」と呼んだ。ルッキズムのペテンも全く同じ構造だ。 お前が「美しくない」のはお前の遺伝子のせい。あるいはお前が自分磨きをサボった怠慢のせい。 そうやって、構造的な不平等(資本の格差)が完璧に見えなくされ外見上の敗者が「私が悪いんだ」と自己嫌悪を内面化させられる。 これほどえげつない魂をジワジワと刈り取るような暴力が他にあるかよ。吐き気がする。
4.新プチブルのハビトゥス。SNSという名の「終わりのない自己監視の監獄」
そしてこのルッキズムの地獄を自ら進んで内面化しスマホの画面にへばりついて強迫観念にのたうち回っているのが現代の新プチブルジョワジー(中間階級の新興層)のハビトゥスだ。 InstagramやTikTokの「映え」を見てみろ。あれはまさに、新プチブルの精神構造のこの上ない純粋な暴走だ。
ブルデューはプチブルジョワジーを存在(being)よりも見かけ(seeming)に過剰にコミットする階級として定義した。お前らは圧倒的な自己確信を持つ支配級のようにのびのびと振る舞えず、かといって他人の目を気にしない労働者級のようにもいられない。 常に他者のまなざしに怯え外見や表象に病的に拘泥する。
日常のワンシーンを切り取りフィルターをかけ他者から承認される「良い光」の中に自分を配置しようとする「映え」の実践。 取るに足らない日常の断片をエモいアングルで切り取るあの美的気取り。 単純な虹や空を載せるのではなく自分のオサレ笑な感性でフィルターをかけたり構図をずらしたりする。それらはすべて自分が持っていない伝統的・文化的な資本の欠如を見かけのハッタリによって先取りし埋め合わせようとする哀れなプチブル的ハビトゥスの現れだ。
お前らは「自分を愛するため」「丁寧な暮らしのため」と称して、ヨガやオーガニック、美容整形にせっせと投資する。ミニマリストとかいって過剰に物を手放す生活を好んだりする。ん俺か?しかしその実態は美容資本やセンスを売る商人が提示する「正常で健康で洗練された心身」のモデルに必死で自分を適合させようとする、終わりのない自己監視の監獄に自ら飛び込んでいるだけなんだ。 他者のまなざしを意識するあまり自分の身体に気まずさ、恥ずかしさ、不安を抱え、永遠に満たされない不適格感に苛まれ続ける。これじゃあフルに精神安定剤を一気にオーバードーズしたってまともに眠れるわけがない。
5.この地獄から抜け出す処方箋。運命への反逆と、ルールを書き換える「分類闘争」
じゃあどうすればいいんだ? 「ありのままの自分を愛そう」なんて甘っちょろいメンタルハックを唱えるのか? お前をジャッジし、コンプレックスを植え付けて、ダイエット商品や美容医療を売りつけようと待ち構えているクソみたいな美容資本の網の目の上でそんなチンケなおまじないが通用すると思うか? 通用するわけがない。そんなのはただの逃げだ。逃げて勝った奴なんて、本当は一人もいやしないんだ。逃げた先に楽園はねえ。
俺たちがやるべきことは、心理的な自己改造じゃない。 この不条理なゲームの構造そのものを客観化しジャッジし返しそのルール自体をぶっ壊す実力行使の「分類闘争」を仕掛けることだ。
ステップ・ワン:自生社会学との「切断」、そして運命への反逆
まずお前が「美しくなりたい」「痩せたい」と自発的に願っているその欲求自体が社会構造と美容資本に「そう思わされている」だけの無自覚な常識であることを見破れ。 個人的なコンプレックスだと思い込まされているものを冷酷に社会学のメスで切り開きこれは社会構造に強いられた不条理なルールだと意識化するんだ。 不条理な構造を認識したとき、お前は自分の運命を無自覚に愛し従属するクソみたいな運命愛をぶん殴って粉々に破壊し、「こんなルールは絶対に受け入れない」という運命への反逆の炎を心の中に灯すことができる。
ステップ・ツー:勝ち目のないレースを降り、基準を書き換える「分類闘争」
「もっと痩せれば」「もっと顔をいじれば、この地獄から上がれる」と、支配者が定めた基準の枠内で努力するのはやめろ。それはただ、ゲームの再生産に荷担させられているだけだ。 お前がやるべきなのは、その勝ち目のないレースを全力で降り、「何が価値ある身体なのか」という判定基準そのものを書き換える闘争(分類闘争)を仕掛けることだ。 かつてのフェミニズム運動がナチュラル・ルックを掲げ男たちのまなざしによるジャッジを拒絶したように既存のエレガンスの定義をクソ食らえと突き放し自分の身体の決定権を集団の手に取り戻す。
ステップ・スリー:個人の「自己肯定」を捨て、集団の「連帯」へ
ルッキズムがこれほど猛威を振るうのは、お前たちがSNSの画面の前でバラバラに分断され、統計的な他者のまなざしの前で一対一の格闘を強いられているからだ。 個人で社会的飛翔(地獄からの脱出)を夢見るのをやめろ。 自分と同じように、身体的不安や不適格感を抱えている社会空間の同じ位置にいる仲間と連帯しろ。 お前の身体の価値を決める言葉を美容の専門家やインフルエンサーに委任するな。 自分たち自身の身体の美しさとタフさを表現する新しい名前と言葉を自分たちの手で構築しそれを集団で社会に認めさせていくんだ。
人生は混沌としていて死んだらどうせ全員無になるだけだ。 だったら生きているうちに他人が勝手に用意したクソみたいな見せかけの美しさのルールに怯えて自分の貴重な命をすり減らすなんてこれ以上の馬鹿げた損失はない。そろそろクソみたいな価値観をロスカットしろよ。
俺たちの身体は他人の審美眼を満足させるためのデコレーションケーキじゃない。 この冷たい現実の世界を駆け抜け、戦い、呼吸し、生き延びるための、唯一無二のリアルな肉体だ。 他人のジャッジなんて知るかよ。ファックイット。ファックアウト。 俺たちの肉体の、本当の戦いはここから始まるんだ。 行くぞ、マザファッカー。 ソー、ゴーハントザットサノバビッチダウン!
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